あいわ総合司法書士事務所

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2010.9.02 「温故知新」更新しました。

温故知新:昔の事物を研究し吟味して、そこから新しい知識や見識を得ること。 

       ふるきをたずねて新しきを知る。(広辞苑 第6版)

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この「温故知新」は、幣職が日頃の業務等の中で、何となく違和感を覚える現象や事実を考察し、検討を加えることを目的として立ち上げました。昨今の政治経済をはじめ、個人の業務や日常生活の隅に至るまで、全て「改革」「革新」「変化」が押し寄せ、日本人として人として大切なものを喪失し、或いは変質させているのかも知れないという不安に駆り立てられることがあります。即ち、社会が変化し、進歩すればするほど人間の幸福度が減じられる世界を生きていると感じる時があります。従い、私たちには、この「変化」と平行して、一旦変質し或いは喪失したものが何であったかを求め、この内現在においても意義を有する一部を復活させることも必要だと思います。そして、このカテゴリーが、水に落ちるその小さな一滴になることを思いました。この志向は「復古」ではありません。温故知新という言葉のとおり、古き良きを訪ねその中から新しき良きを抽出し、これらを今に生かすことです。

 1.自由について(以下「自由」を『広辞苑 第6版』の「自由①心のままであること。思う通り。自在。古くは、勝手気ままの意味に用いた。」と同義で使用している。)

 さて、現在社会のあるところでは何かと「自由」「自分らしさ」「やりたいことをやる、またはやりなさい」「個性」「メリット」「利益」「グローバルスタンダード」のような言葉が蔓延している。これ以外の生きる上でや子供を育てる上での判断基準、方針、指針或いは考え方といったものが薄くなり、或いはなくなり、混乱しているように感じる。特に、この①「自由」な風潮と、②最近の世の中でその存在が薄くなったり消滅したりした判断基準や考え方等について、考察したいと思う。

 ①「自由」な風潮について

 古い書籍を元にした話になるが、その本によると、アメリカ人の場合何かをなすには自由が必要らしい。しかし逆に日本人の場合はそうではなく、元来次のように分析されていた。

 「日本の生活曲線は、アメリカの生活曲線とちょうど逆になっている。それは大きな底の浅いU字曲線であって、赤ん坊と老人に最大の自由と我儘を許されている。幼児期を過ぎるとともに徐々に拘束が増してゆき、ちょうど結婚前後の時期に、自分のしたい放題のことをなしうる自由は最低線に達する。この最低線は壮年期を通じて何十年もの間継続するが、曲線はその後再び次第に上昇してゆき、六十歳を過ぎると人は幼児とほとんど同じように、恥や外聞に煩わされないようになる。アメリカではわれわれはこの曲線を、あべこべにしている。幼児には厳しいしつけが加えられるが、このしつけは子供が体力を増すに従って次第にゆるめられてゆき、いよいよ自活するに足る仕事を得、世帯をもって、立派に自力で生活を営む年ごろに達すると、ほとんど他人の掣肘を受けないようになる。われわれの場合には壮年期が、自由と自発性の頂点になっている。年を取って…(中略)…再び拘束が姿を現わし始める。*1」

       *1  定訳『菊と刀』(全) ルース・ベネディクト 長谷川松治 訳 (教養文庫) P293

 従って、かつての日本の場合、その生活曲線はアメリカと真逆になっており、この日本の元来の曲線を無視して昨今のように自由を強調すれば、曲線は全生涯を通じて自由の直線になり、例えば会社を辞めたり離婚するハードルが相当に低くなったり、所属する家族、組織、社会、国に対する責任感や連帯感が希薄な、「自由」な世界が、社会のあるところで現れてしまうのは当然の帰結である。ある人数の集団で協調して或いは拘束されて義務が課されて力が出る社会に、何者にも拘束されず個人的欲求の追求を原動力として力が出る国の社会の求める自由を、その歴史的或いは文化的な背景を考慮せずに強調し続けたら、この社会はある意味では力を出す原動力を失ってしまう。しかし、今の社会が協調や拘束や義務だけで成り立つとは考えられないから(私だってこれらのみなら苦しい。)せめて、ある年齢を過ぎたら様々な義務があることを、自由であることと同時に強調されなければなるまい。さもなければ社会の均衡が保てない。

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